1947年当時のアメリカ陸軍はなぜロズウェルに墜落した「考えられない速度の飛行物体」の残骸をすべて回収したのか?
この点を考える前に、アメリカが直前の第二次世界大戦においてどう兵器開発をしてきたのか考える必要があります。
そもそも第二次大戦前のアメリカは対外戦争に不介入の方針でした。そういう選挙公約で民主党のフランクリン・ルーズベルト大統領は当選をはたしていました。欧州や中国大陸の専戦争に不介入の方針で、経済再興の政策である「ニューディール政策」を進めていたわけです。
ところが大規模公共事業を基幹とするニューディール政策が、いい結果にならなかったようです。そこでルーズベルト政権としては、戦時産業で経済を再生させるために欧州の戦争にイギリスを助けるために参戦し、ハワイを攻撃されたことを口実にわが日本に宣戦したと主張される方がいますが、結果論からみた俗説でしょう。
実際はイギリスからの戦争支援の求めに応じるかどうか、対日制裁を発動しながら方針を探っているうちに国家の将来に不安を募らせた大日本帝国海軍に真珠湾を攻撃されてしまった、というのが本当のところではないでしょうか?
それ以前にアメリカは、中国大陸の戦線において、中国国民党の蒋介石総統を助ける形で日本軍と戦っています。対外戦争に介入せず、というルーズベルト政権の公約はこの時点で既に破られていました。おそらくアメリカの中国大陸での権益を認めない大日本帝国の政策を認めるわけにはいかなかったのでしょう。
具体的には、蒋介石政権を助けるために中国大陸で暴れまわった航空部隊に「フライイングタイガース」があります。彼らは「貧弱な」日本航空機を圧倒して中国大陸の制空権を確保するつもりでしたが、思わぬ強敵が立ちふさがります。日本海軍の零式艦上戦闘機、通称ゼロ戦です。日中戦争の時のゼロ戦は、初期型の11型でしたが、特に低空の運動性能でアメリカのP-41を圧倒しました。どうしても中国戦線でゼロ戦にかなわないことを知ったアメリカ軍には、「ゼロ戦無敵神話」が生まれます。ゼロ戦の優れた運動性能は、アメリカの戦闘機乗りたちには、後年のUFOの動きのように映ったかもしれませんね。
その「ゼロ戦無敵神話」は真珠湾奇襲攻撃から始まる太平洋正面での日米戦争においても継続します。実際には開戦初期においてF4Fによる一撃離脱戦法により、ゼロ戦に立ち向かう戦術は確立して結果はでたはいたのですが、個々の戦闘機の性能は埋め切れていませんでした。
そして後年、日米の戦局が逆手するきっかけになった戦いであるミッドウェイ海戦。この圧倒的に日本が有利だったはずの戦いの最中に、事件がおこります。
それがミッドウェイ作戦を確実に成功させるために日本海軍が行った陽動作戦であるダッチハーバー空襲(アリューシャン作戦)の時におこりました。
この戦いの最中に、日本海軍は海軍の最高機密に入る零式艦上戦闘機を無傷でアメリカ軍に捕獲されてしまう、という大失態を犯してしまいます。
史料① ダッチハーバー空襲(アリューシャン[AL]作戦)1942年(昭和17年)6月4日~8日
(史料出典:http://www.jyai.net/military/mission/19420604_Dutch-Harbor/)
失われたDI-108号機
ダッチハーバー攻撃の第2日目、攻撃隊に参加した航空部隊のうち、『龍驤』零戦隊の1機、古賀忠義一飛曹機が被弾により発動機不調となり、母艦への帰投が不可能となった。
艦隊ではこのような場合に備え、あらかじめ指定された地点(アクタン島)まで飛行
艦隊ではこのような場合に備え、あらかじめ指定された地点(アクタン島)まで飛行
し、搭乗員回収任務に当てられている潜水艦によって救出される手筈となっていた。
だが古賀機はアクタン島に不時着する際に機体がひっくり返り、裏表逆になったまま滑りながら停止した。古賀一飛曹はこの時首の骨を折ったか、頭部強打により死亡したと思われる。
何故このような事態になったか…
被弾した古賀機に随伴しアクタン島まで同行したのは僚機である遠藤飛曹長機(1機機)、鹿田二飛曹(3番機)である。
当初アクタン島の草地帯に不時着すべく着陸動作に入った古賀機ではあるが、そこは予想された固い地盤とは逆に湿地帯であった。本来湿地帯への着陸であれば、
胴体着陸とすべきところだが、それに気付いたのは着陸直前であり、そのときには古賀機の脚は既に下りた状態であった。
零戦の脚が沼地に捕られ、その衝撃で前からひっくり返るように不時着したのである。
本来であれば、このような状態になった零戦は絶対に破壊しなければならない。機密
零戦の脚が沼地に捕られ、その衝撃で前からひっくり返るように不時着したのである。
本来であれば、このような状態になった零戦は絶対に破壊しなければならない。機密
保持の面からも絶対に必要なことであった。だが上空の僚機からは古賀一飛曹の生死は不明である。生死不明の段階で僚機が機銃にて古賀機を破壊するのは躊躇われたのである。
結果的に僚機は古賀機を破壊することなく母艦に帰投した。搭乗員回収任務の潜水艦も古賀機を探し続けたが、結局発見することは出来ずに、米駆逐艦に追い回され
結果的に僚機は古賀機を破壊することなく母艦に帰投した。搭乗員回収任務の潜水艦も古賀機を探し続けたが、結局発見することは出来ずに、米駆逐艦に追い回され
るようにアクタン島から離れたのである。
古賀機が米軍によって発見されたのは7月10日のことである。実に不時着から1ヶ月以上経ってからの発見であった。
直ちに回収チームが派遣され、沼地からほぼ無傷に近い零戦が米軍の手に渡ったのである。
古賀機は米本土で徹底的に調査・分析され、当時悪魔の如く恐れられたゼロ・ファイターの秘密が徐々に明らかになっていった。これが零戦神話の崩壊へと繋がっていくのである。
ミッドウェー作戦及びアリューシャン作戦全般を通して、もっとも失点となったのは、この零戦がほぼ無傷のまま米軍の手に渡ったことだとさえ言われている。
古賀機が米軍によって発見されたのは7月10日のことである。実に不時着から1ヶ月以上経ってからの発見であった。
直ちに回収チームが派遣され、沼地からほぼ無傷に近い零戦が米軍の手に渡ったのである。
古賀機は米本土で徹底的に調査・分析され、当時悪魔の如く恐れられたゼロ・ファイターの秘密が徐々に明らかになっていった。これが零戦神話の崩壊へと繋がっていくのである。
ミッドウェー作戦及びアリューシャン作戦全般を通して、もっとも失点となったのは、この零戦がほぼ無傷のまま米軍の手に渡ったことだとさえ言われている。
史料② アリューシャン列島に墜落した零戦を解明せよ!
出典:http://sakigakesamurai.blog46.fc2.com/blog-entry-699.html)
また古賀機が不時着した際、上空には僚機が二機いたが、古賀一飛曹の安否を気遣って、本来なら銃撃によって機体を破壊しなければいけないところだったが果たすことができなかった。
古賀機が不時着してから35日後、たまたま上空を飛行していた米軍の哨戒機によって発見され(アクタン島が米軍の哨戒ルートから離れていたことが原因)、すぐさま回収部隊が派遣された。回収部隊の調査の結果、不時着した機体が零戦で、しかも修理すれば十分に飛行可能であることが分かり回収された。その後、古賀機はアメリカのサンディエゴ海軍基地に運ばれ、修理された後、さまざまなテストが行なわれ、零戦の無敵神話が崩壊しようとしていた。
ちなみにではあるが、飛行可能な零戦が鹵獲されたのは今回の古賀機が最初ではない。実は同じ年の春に中国の揚子江沿いに不時着した零戦を中国軍が回収し、現地にいた米軍に引き渡していた。この零戦は桂林飛行場でテスト飛行が行なわれたが、専門家による調査ではなかった。この機体がアメリカ本国へ送られたのは昭和18年なってからである。そのため、テストパイロットを使った専門的な調査が実施されたのは今回の古賀機が最初だった。
話を戻すが、サンディエゴに回された古賀機はテストを受け、彼らを驚かせた。まず最初に彼らが驚いたのは機体が非常にスマートで、安定性に優れていたことだった。開戦以来、零戦と戦ってきた当時の米海軍の主力戦闘機F4Fワイルドキャットに比べ、脚の幅が広いため空母での発着艦における安定性が優れていた。そしてなによりも低速時における旋回性能が抜群で、格闘戦に優れた機体であったことが調査によって改めて判明した。さらに、古賀機は離陸直後から高い上昇性能を発揮し、巡航速度(時速330キロ)付近では圧倒的な旋回性能を示したという。
日米戦争開戦時の零式艦上戦闘機の雄姿
戦いで被弾したという点は、ロズウェル事件のUFOの場合とは違うが、不意に出くわした地球の落雷が災いして、UFOが不時着を試みようとした可能性はある。
AL作戦の時の古賀一飛曹が、不時着地点の様子を間違えて不時着に失敗した点と、ロズウェルで落雷にうたれて地面に墜落したUFOの姿が妙にだぶるのは、私だけであろうか?
古賀飛曹の零戦は、僚機が機密保持の責任をはたさなかったために破壊されなかったことが結果的に災いしたが、ロズウェルのUFOは回収するべき仲間も存在せず回収さるに至るのである。
これは確証はないことだが、ロズウェルにUFOが墜落したことを知った陸軍基地の幹部は、このAL作戦の時のことを知っていたのではないだろうか?
AL作戦は1942年6月、ロズウェル事件は1947年7月であるから、零戦回収から5年後のことなのである。
ほとんど無傷の零戦を米軍が回収することにより、テストパイロットをつけて徹底的に精査し、そののち「零戦無敵神話」を破り、戦局を米軍に有利に導く戦闘機をリリースしていったことを考えると、このロズウェルの墜落UFOから日本の後の軍事的対立軸となるソ連に対抗できる兵器開発につなげられるかもしれないことは考えていてもおかしくはない。
兵器研究を視野にいれた兵器であれば、軍幹部が「機密」扱いするのもうなづける。零戦を回収したのが米海軍であれば、米陸軍の対抗意識もあったかもしれない。
このあたりの機密文書が情報公開で、政府機関からでてくると面白いことがいえるだろうが、あくまで想像の範囲でしかない。
ロズウェル事件以前にもUFOが世間的な話題にもなっていたようであるから、軍内部でも関心はもたれていた可能性は高いのである。
いずれにしてもアメリカという国家は、自分たちがとうてい適わないような優れたテクノロジーに出会う時に、その対象の兵器を無傷で手に入れて精査し、新しい強力な兵器の開発につなげていくことが、一つのノウハウである可能性がある。(リバースエンジニアリング)
日米戦争が始まった当時のアメリカの航空戦力は、世界6位といわれるように、航空機を使った戦術については、ナチスドイツや日本の方が優れていた。航空機の性能についても同様であり、中国戦線でも真珠湾攻撃でもアメリカの戦闘機は日本軍の零戦に太刀打ちできなかった。
ミッドウェイ作戦時のダッチハーバー空襲時に偶然確保した零戦の期待を徹底的に調査、研究し、新型戦闘機の開発につなげていったところから、アメリカの航空戦力は強力になっていったといえる。
1947年といえば、核兵器の技術がソ連に盗まれ、ソ連が核実験を行った翌年にあたります。核兵器で優位性を発揮できなくなったアメリカ政府は、核兵器に代わる兵器開発に迫られていたのではないでしょうか?
地球外生命体のテクノロジーであれば、うまくものにできれば世界中で誰も知らない技術ですから、アメリカは圧倒的に優位にたてますからね。
ロズウェル事件は新しく発足する空軍の予算どりにも都合のいい事件だったでしょうが、アメリカの国防にとっても願ってもない墜落事件だったのかもしれません。
UAP(UFO)は政治的な問題、安全保障の問題としてとらえ考えられなければいけない問題です。オカルトだけで終わってはいけない問題であると思います。
1947年7月(昭和22年)にニューメキシコ州ロズウェルに未知の飛行物体が墜落し、機体と乗員の遺体を回収した。9月に米空軍が設立、MJ-12という秘密機関が設立される。米国政府が本格的に空軍を中心に未知の文明のテクノロジーを研究、開発?を始めたといえるでしょう。回収事案は日米戦争当時にロサンゼルスやハワイであったようですが、研究、開発が本格的にスタートしていたわけではないようです。戦時体制でしたから、十分予算も人員もつけられなかったのではないでしょうか。
ロズウェル事件を霊視考察する試み。霊視ではどうみえたか?
https://www.youtube.com/watch?v=ekRkdcJFRMs
【ロズウェル事件・後半】過去最多の人数を霊視!!霊視で視えた秘密裏に行われていた実験とは!?
https://www.youtube.com/watch?v=d6zQ5x6x03U
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