田代峠 ~旧日本軍の機密か?それともミステリーゾーンか?

 田代峠とはどんなところか?
 田代峠は、かつては馬や米の運搬道として使われていた「間道」(正規の街道筋ではない道)である。麓に名湯として名高い赤倉温泉があり、江戸時代には密輸取り締まりのために仙台藩の番所がおかれるほどの賑わいであったといわれる。
 しかし明治以降は、周辺の道路整備が進んだことにより、利用者は激減する。第二次大戦後に交通の主体が自動車となると来訪するお客はさらに減少した。
 現在では、「酷道」と揶揄されるほどの悪路のせいか、県道であるにも関わらず、通行する人間はほぼ皆無となっている様子である。

 「田代峠」の知名度があがったのは、1979年『婦人公論』に掲載された一つの寄稿文であった。(「禁断の田代峠奥 高橋コウの手記」)

 山形県最上町の山間部集落で暮らす高橋コウ氏は、自分も山に精通していると語る。しかしそんなコウ氏でも「ある特定の区域だけは足を入れたことがないのです。」
 また、
「地元の人々は古来から、この地域に行った者は再び戻ってこないとか、運よく帰れても発狂してしまったり、突然事故死が起きるとも伝えられています。地獄の山の別名もあって、山登りはもちろん山菜取りの人も恐れて近寄らないくらいタブーの山でもあります。」
「太平洋戦争の末期に日本内地を移動中の旧海軍双発飛行機1機が、地元住民の誰もが視認している中、田代峠奥地の上空で急に飛行中の機体が空中爆発して墜落した事件がありました。捜索に出向いた現職警察官と数名の消防団員達は、地元古老の静止を振り切って入山したまま消息を絶ち、更に救援に赴いた少数の海軍兵士さえ、行方不明になってしまいました。」
「誰もが嫌がって行かないなら、山男ではないが山女の名にかけて私がいってやろう。」
と決心し、長男と共に田代峠へと向かうのである。その後手前の集落で「行かないほうがいい」と警告されながら、二人は峠へと足を踏み入れる。

 そして山中で奇怪な老婆と遭遇し、住処と思われる洞窟に案内されるのである。
「翌朝になったら峠から戻ってくれ。一歩でも入ったら、どんな災難が降ってくるかも知れない。うちの旦那は、あそこに出かけたきり戻ってこないし、最近では、地図作りのお役人さんと営林署の人が、止めるのも聞かずに行って、翌日には死体となってカラスや鷹の餌になってしまった。」

 との老婆の忠告にも耳をかさず、コウ氏は翌朝にさらに奥地へと進行する。すると突然ガスとも霧ともつかない緑色の気体に囲まれ、長男共々錯乱状態に陥ってしまうのである。
「ギョッとして足を停めようとしましたが、自分の意思とは正反対に足の方で動きをとめてくれません。北を示していなければならない指針が、無暗にぐるぐる回るだけで、不安定な針先はどこを差しているのか見当がつきません。」

 奇妙な現象に見舞われながらコウ氏は数100m先の山肌に巨大な洞窟を発見する。
内部に潜入し、洞窟内部である発見をする。
「金星発動機五二型 昭和十九年製三菱航空機株式会社」と彫られている金属板、つまり旧日本海軍の軍用機の残骸であったのである。
 その後失神した二人は老婆が暮らしていた洞窟の前で覚醒し、慌てて帰村すると実に4日がすぎていたのである。

2018年8月ごろの田代峠。県道262号・最上小野田線)

 田代峠は、山形県北東部の宮城県との県境に存在する。地元の古老の話によると、一度足を踏み入れたら二度とは戻れない「禁断の地」があり、さらには磁石の針がグルグル回るほどの磁気異常地帯も存在するといわれる。そのせいか山中で車のエンジンが突然停止したとか、腕時計が故障したという報告がある。

 1978年5月に高橋邦安氏は、山菜とりで峠深く入山する。突然緑色のガスに包まれ、空中に浮かび、謎の洞窟へと吸い込まれた。岩肌には、雑多な金属片が貼られており、そのうちの1点には、
「金星発動機五十二型昭和十九年製三菱航空機株式会社」と刻まれていた。恐怖で洞窟を飛び出すと強烈な緑色の光線を浴びた。急いで山を下ると、4日間が経過していた。」
 彼は、この体験を手記に残したが、その後突然、他界している。

 1985年9月25日、この洞窟へ迷い込んだのがフリーのルポライター塩野智康氏である。彼が峠深く分け入った時に、霧が発生し、低空に円形の発光体が出現する。追跡されて、逃げるうちに洞窟の前にいた。奥に侵入すると銀色の円盤型の物体が戦闘機に似た機体があった。
 脱出の際に、緑色のガスに包まれて感覚がマヒしたまま帰還した。この体験は『月刊ムー』に掲載されたが、これ以後塩野氏は消息を絶っている。

 田代峠近辺には、かつて旧日本軍による大本営設置計画があった。それに関連して「秘密の洞窟」がいくつか存在しているといわれる。高橋邦安氏、塩野智康氏両名が迷い込んだ洞窟は、その一部であったようだ。

 かつて山形県にあった「日本飛行機株式会社」で三菱製の戦闘機「秋水」が開発され、テストフライトに失敗して以後、歴史の闇に葬り去られている。
 洞窟の中の謎の機体は、「秋水」であり、さらに「秋水」のカスタマイズされたタイプの機体であったのではないのか?

 旧日本軍がその頭脳を結集した新開発の戦闘機は、使用されることもなく、現在も秘匿されたままになっているのかもしれない。

あけゆく峠路

ジムニー田代峠アタック。
ミステリースポット田代峠

 日本軍が大本営をおこうとしていた地域であり、それまでに軍関係で特別な施設があった場所かもしれない。「秋水」は、元々ナチスドイツの新型ジェット戦闘機ハインケルHe162サラマンダーを同盟関係を利用して輸入したもの。我が国では少量量産されたものの戦局を変えるには至らなかった。その試験場が田代峠にあったというのは理解できる話です。ただ円形飛行物体はよくわからない。或いはこれも実はナチスドイツの円盤型戦闘機を極秘に導入し、研究していたとは考えられないだろうか?
 あくまで推測でしかないが、円盤型戦闘機であれば、船でわざわざ運搬する必要もなく、滑走路もいらないから山中の格納庫にダイレクトに入庫できる。
 しかし霧が発生、緑色の霧の発生については説明がつかない。異星人がいるとは思えないが、最高級の軍事機密だろうから、人が立ち入らないように仕掛けを施してあるのかもしれないが、霧の発生装置なんて聞いたことありません。
 説明不能なところが多いですが、旧日本軍の軍事機密がいつしか日本人にも忘れられて、今なお山中の洞窟に眠っているとする見方をとっています。

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