ジョン・F・ケネディ大統領が世界に伝えたかったメッセージ

【アメリカ第35代大統領ジョン・F・ケネディ暗殺事件】

1963年11月22日、テキサス州を遊説中に車上にて凶弾に倒れました。


犯人を名乗る男は、すぐに逮捕されたものの、その暗殺の理由としてパレード後に行われる演説を阻止するための事件だったという解釈がある。


1989年5月23日、ミルトン・クーパー(元米海軍将校、UFO陰謀論研究)による米政府機密情報暴露講演が行われる。

 クーパー氏によるとケネディ大統領は、宇宙人の存在やマジェステックトゥウェルブ(MJ12)の麻薬密売について公表しようとしたため暗殺されたのだという。





ビル・クーパーの証言(ケネディ暗殺と第三の選択)

 MJ-12は、トルーマン大統領のころに宇宙人の調査や宇宙人との交渉を秘密裏に行うことを任務として設置された委員会であるが、彼らは宇宙人の存在は、世界に公表すべきではない、としていた。さらにMJ-12は、大統領の権力下を離れて麻薬密売を行うなど組織自体が、悪徳化していったといわれている。
 MJ12によるケネディ大統領暗殺を裏付ける証拠として、ケネディ大統領が暗殺された時に着用していた背広のポケットからメモがみつかっていたことであるとされる。
 メモはパレード後に行われる予定の演説の要旨であり、そこには1947年にニューメキシコ州の砂漠でみつかったUFOについて、宇宙人が「友人」であり、脅威ではないことなどが書かれていた。(ロズウェル事件)
 つまりMJ12が、宇宙人の情報を秘匿し続けるためにMJ12の工作員を大統領の近辺に接近させて暗殺したものだという。

 1953年と1954年にアメリカ政府は、2種類の宇宙人と接触しているという。宇宙人には善意をもつ宇宙人と悪意をもつ宇宙人がいるという。善意をもつ宇宙人は「人間と瓜二つ」であり、地球人の霊性の発達を助けたがっていた。霊性の発達を助ける交換条件は「核兵器の廃棄」であった。地球人への奨励は「殺し合いをやめ、自然の搾取をやめ、互いに調和、自然と調和しなさい。」
というものであった。
 平和的地球になることにより、不利益を被る人たちは誰か?
ケネディ大統領は、善意をもつ宇宙人に人間の霊性の向上の助けを求め、平和的地球を目指したから軍産複合体に暗殺された、ともいえるだろうか?

   アメリカ軍は、ロズウェル他様々な形で、自国領内に墜落したUFOを回収していて、既に宇宙人との接触ももっているという。ケネディ大統領は、墜落UFOや宇宙人の遺体を目撃していた。そしてこれらをアメリカ国民に公表して明らかにしようとしていたという。だとしたらケネディ大統領は、国家による秘密主義をなくし、アメリカの民主主義を守ろうとしていた、ということもまたいえるであろう。




第三の選択~バランタンテープ火星映像
(1962年5月)
米ソ共同による火星コロニー移住計画の発端。ケネディはこの計画も知っていたのか?

【ジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件の情報は全面公開されるのか?】


ジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件(1963年)に関して、これまで全面非公開だった最後の機密文書約3100件のうち、先日約2900件が公開された。
全面公開すると意気込んでいたトランプ大統領だったが、一部は中央情報局(CIA)などの公開延期要請を受け入れ、半年間の先送りを表明。公開された約9割の文書には決定的な新事実はなかったが、1割は相変わらず非公開のため、これまで囁かれていた陰謀説などが再び拡大した。
※アメリカ国民に伝えたかったことを伝えきれなかったケネディ大統領の無念は、察して余りあるものがあります。暗殺事件の情報を公開してそれではらせるものでは無論ありません。ですが、彼が当時アメリカの人々に何を伝えようとしていたのか?これは、十分アメリカの大衆は「知る権利」はあろうかと思います。
ケネディ大統領暗殺の謎
ケネディ暗殺の真相

FBI長官、発生2日後に陰謀説を警戒、何を語るケネディ暗殺事件文書

樫山幸夫 (産經新聞前論説委員長)

 ジョン・F・ケネディ米大統領の54回目の命日が20171122日(日本時間23日)にやってくる。中年以前の人たちには、なじみが少ない名前かもしれないが、若くして超大国の指導者となり、在任3年足らずで暗殺された悲劇の大統領だ。2017年1月に離任したキャロライン・ケネディ前駐日大使の父親といったほうが、通りはいいかもしれない。ケネディ暗殺についてはいまなお謎が多いが、それに関する機密文書が公開された。膨大な量にのぼり、現在、米内外の記者、研究者らによる精査の真っ最中だ。情報機関の横ヤリで、多くの文書が公開を見送られ、事件の全容解明に結びつく資料は少ないとみられているが、いくつか興味深い事実も明らかになっている。

(Photo by Keystone/Getty Images)

容疑者殺害で多くの謎が未解明に
 ケネディ大統領暗殺事件は19631122日(日本時間23日)に起きた。大統領は再選めざしてテキサス州を遊説、ダラス市内をオープンカーでパレード中、何者かに狙撃され頭部などに銃弾を受け死亡した。現場の通り沿いの教科書倉庫ビルで働くリー・ハーベイ・オズワルド(当時24歳)という元海兵隊員が、6階の窓からライフル銃で大統領を撃ったとして、事件直後に逮捕された。オズワルドは2日後にダラス警察署内でナイトクラブ経営者のジャック・ルビーという男に撃たれ死亡した。
 ケネディ氏の死後、副大統領のリンドン・ジョンソン氏が大統領に昇格、同氏は真相を解明するために、事件から1週間後の1129日、連邦最高裁長官(当時)のアール・ウォーレン氏を委員長とし、当時下院議員だったジェラルド・フォード氏(その後、大統領)ら7人のメンバーからなる委員会(通称、ウォーレン委員会)を設置した。委員会は延べ500人以上から証言を求めるなどして調査を行い、翌年9月に「オズワルドの単独犯行」という報告書を提出した。しかし、疑問点が数多く未解明のまま残っていたため、いまなおさまざま憶測がなされている。   
 1991年に制作されたオリバー・ストーン監督の「JFK」もそうした疑問に根差した映画だった。もっとも強い疑問は、オズワルドの単独犯行なのか、動機は何かーだ。オズワルド自身は犯行を否定、本格的取り調べが始まる前に殺害されているために、疑問が残るのは当然だった。
今でも6割以上が陰謀説信じる
 未解明の謎は、憶測に発展する。
「大統領と実弟のロバート・ケネディ司法長官がマフィアの取り締まりを強化したために報復を受けた」
「米国と冷戦状態にあったソ連(当時)、やはり敵対していたキューバが関与していたのではないか」
「ケネディ大統領の外交政策を嫌う中央情報局(CIA)の〝クーデター〟だった」
 ジョンソン大統領の関与説まで流布され、半世紀を経た2013年の世論調査では、61%にのぼる米国民がいまだに陰謀説を信じているという結果が出た。
 公開で、明らかになった興味深い事実を見るとー。


オズワルド暗殺予告
·         FBI(連邦捜査局)のフーバー長官(当時)が事件翌々日の1124日、「前夜、FBIダラス支局に、〝オズワルドを殺害する委員会〟のメンバーと名乗る男から電話があった。ダラス警察の責任者に連絡したが、適切に保護がなされていると請け合った。今朝、もう一度連絡したが、十分な保護がなされているということだった。しかし、実際は、なにもされていなかった」と部内で語った(196311月日24日のFBI内部文書)
·         フーバー長官は、「オズワルドが死んだという以外に何もわからないが。オズワルドが真の暗殺者であることを示す何かを公開する必要がある。そうすれば国民を納得させられるだろう。ジャック・ルビーは、共犯者はいないといっている」と語った(同文書)
·         キューバの駐カナダ大使のケネディ暗殺に対する反応は〝喜ぶべき、幸せなこと〟だった。しかしオズワルドが〝キューバ・フェアプレー委員会〟という団体に関係していたことから、米国で反キューバ感情が起こるのを警戒して、キューバの国連大使が駐カナダ大使に、〝深刻ぶった〟態度をとるように求めた(19631127日のCIAオタワ支局から本部あて報告)

ソ連はジョンソン大統領関与説
·         CIAの通信傍受記録では、オズワルドは1963年9月、メキシコシティのソ連大使館を訪ねた際、ソ連行きのビザのことで、領事と話したが、この領事はKGB(旧ソ連の情報機関、国家保安委員会)の要員だった(19631123日のCIA内部から副長官代理へのメモ)
·         FBIの(ソ連内部の)情報源によれば、ソ連はオズワルドとは何の関係もないと主張している。KGBは、「ジョンソン大統領が事件に責任があることを示すデータをもっている」といっている(1963121日のフーバー長官からマービン・ワトソン大統領特別補佐官へのメモ)
·         FBIの情報源によると、ソ連は、ケネディ大統領の暗殺によって米国内のリーダーシップが失われ、無責任な将軍たちがソ連にミサイル攻撃を仕掛けてくるのではないかと恐れていた(同)
·         ケネディ暗殺の25分前、英国のローカル紙に「ビッグ・ニュースがあるからロンドンの米大使館に連絡しろ」と電話があった。地元警察が英国の情報機関、MI5を通じてCIAに連絡した(19631126日のCIA副長官からFBI長官あてのメモ)

 ケネディ暗殺に関連する文書は過去にも随時、公開されてきたが、ことし7月から11月月までは、5回にわたって約31000件が順次公開された。
 注目されたのは1026日の公開だった。ケネディ暗殺の機密指定を25年後に解除するという1992年の法律の期限が、この日で切れるため、すべての機密文書が日の目を見るのではないかと期待が高まっていた。
 ところが、CIAのポンペオ長官らが、安全保障上の問題を理由に解除延期を要請。トランプ大統領は法律に従って公開を容認する方針を示していたが、当日になって一転、CIAFBIの要請を容れ、一部非公開を決めた。
 情報機関が公開に反対することについて、諜報活動の実態が明らかにされるのを避けたいという思惑と、大統領暗殺を防げなかった〝不手際〟が暴露されることを恐れているのではないかなどの憶測もなされている。
 未公開分については、今後180日間に公開の是非が検討される。11月以降公開されたのは、指定解除に問題なしと判断されたとみられる。
 米国立公文書館に保存されているケネディ大統領暗殺に関連する公文書は全部で500万ページにものぼるというが、1022日のロイター電子版は、これらが全面的に公開されても、リー・ハーベイ・オズワルドの動機についてあらたな大きな情報は期待できないとする一方で、マフィアやキューバの存在を指摘する陰謀説も将来にわたって、消えないだろうという研究者の分析を伝えている。 


ケネディ暗殺に関して、筆者はワシントン在勤中の200311月、故大統領の40回目の命日にあわせて、ウォーレン委員会メンバーで当時、ただひとり健在だったジェラルド・フォード元大統領(在任、1974年ー77年、2006年死去)にインタビューし、陰謀説などについて聞いてみたことがある。
妻に〝男らしさ〟みせるのが動機
Q:ウォーレン委員会の報告は正しい結論という確信には今でも揺るぎはないか?
 元大統領「委員会は全員一致で、オズワルドが暗殺実行犯、国内外のいかなる陰謀についても証拠はなかったという結論に達した。(1979年の)下院特別委員会も同様の報告を取りまとめている。私自身、この二つの結論に対していかなる疑問ももっていない」
Qしかし、あなたは回想録「和解への時」のなかで、「ウォーレン報告は必ずしも完全ではない」と述べている。:
「暗殺事件というものはいつでも疑問に包まれたものだ。リンカーン大統領の暗殺だって、100年以上たったいまでもさまざまな憶測がなされている。批判というものは常にある。委員会の結論は正しい」
Q:1979年の下院特別委員会報告は、マフィアによる陰謀の可能性にも言及している。 
「マフィアの関与というのは、あったかもしれないという推測にすぎない。下院委員会の報告もオズワルドの犯行という結論には同意しているはずだ。陰謀の証拠は、どの調査でもみつかっておらず、マフィアによる犯行という推測には同意できない。
Q:ウォーレン報告では、オズワルドの犯行の動機が解明されていない。
「(オズワルドの)妻やその他の人たちの証言によると、オズワルドは精神的な問題を抱えていたようだ。日ごろから夫人に軽侮されており、それを見返すために男らしい、劇的なことをしてみせる必要があった。それが大統領暗殺にかりたてたとみるべきだ」
 20世紀最大の謎のひとつといっていいケネディ大統領暗殺事件。当時を知る人たちにとっては、忘れようにも決して忘れることのできない事件だ。未解明のまま、歴史の闇に消えていくのだろうか。
いまなお語り継がれるケネディ神話
 第35代、19611月、選挙で選ばれた大統領としては最年少の43歳で就任した。父親は元駐英大使というボストンの名門の出身、若くてハンサム、美しい妻、ジャクリーン夫人という存在もあって、その周辺は華やかさに包まれ、米国だけでなく全世界でその人気を誇った。第2次世界大戦では魚雷艇艇長として活躍、日本軍との戦闘で、自らも負傷しながら部下を救ったという英雄でもあった。悲劇的な最期と相まって、理想化された人物像、その時代は「ケネディ神話」と呼ばれ、いまだに追慕する米国民は少なくない。
 政権の司法長官をつとめた実弟のロバート・ケネディ氏が、兄の死から5年後、大統領選挙運動中にやはり暗殺されたことも、「神話」をいっそう劇的なものにしている。

 現代において、大統領が多くの国民の目の前で撃たれ、その瞬間が全世界でテレビ放映された衝撃は大きく、暗殺事件にとどまらず、大統領やその家族らにまつわる書物、映画などが数多く制作された。夫人の愛称をタイトルに、夫を失ったのちの、その生き方を描いた映画「ジャッキー」が今春、わが国でも公開された。

1770R Testimony by W Cooper ビル・クーパーの証言(ケネディ暗殺と第三の選択)Kennedy Assassination+Alternative 3 https://www.youtube.com/watch?v=oeuRUpt-Mbo 
JFKは暗殺10日前に「UFOとエイリアン」を調査していた!? CIA極秘文書で発覚したケネディ「最後の依頼」とは? 
2018.01.11 http://tocana.jp/2018/01/post_15622_entry.html  
 トカナではこれまでに何度もUFOの存在について取り上げてきたが、アメリカではついに、ジョン・F・ケネディ元大統領がUFOについてかなり真剣にデータ分析をしようとしていた事実が明らかになり、UFOマニアの間でちょっとした騒動となっている。

■「ケネディは大統領就任直後にCIAに対してUFO情報を請求した」  

 騒動の発端は、UFO研究者であるウィリアム・レスター博士のテレビ出演に始まる。彼は番組内で、CIAから個人的にある重大な資料が開示された、と証言した。その資料とは、ケネディ元大統領が亡くなるわずか10日前に、ケネディ氏自身がCIAに対して「UFOに関する調査結果を見せてくれ」と依頼する文書だったという。  
 文書の内容を見ると、ケネディ元大統領がUFOの存在を強く意識していたことがうかがえる。一国の大統領がなぜUFOごときに振り回されるのか? と訝る人もいると思うが、UFOマニアの間では「アメリカ大統領はUFOと交流することになっている」との話題が事あるごとに浮上するからこそ、ケネディ氏がUFOを意識していた証となるこの文書が、彼らの間で注目されてしまうのも無理はなかろう。ちなみに、ケネディ氏がUFOを気にしていたのは「国家治安のため」だったとの見方が強い。  
 さて、CIAは、ケネディ氏からもらったUFOに関する手紙を公開するのはこれが初めてというが、この手紙が公開される約5年前、すでにウィキリークスは同様の内部告発を受けていたという。告発を提供したのは、テキサスを本拠地とする民間情報機関「Stratfor」社である。  Stratfor社が入手した告発メールは約500通! その内容は、大企業はもとより、米軍の内部に関する情報も含まれていた。当然、CIA関連もあったことだろう。その中でも際立った情報は、やはりケネディ氏とUFOに関するものだったという。  
 告発メールの中で、「ケネディ元大統領は大統領就任直後に、CIAに対して、UFOの情報が欲しい旨を要請した」と、当時の状況が記されている。この点、前述のレスター博士の証言と非常に類似しており、お互いの証言が信ぴょう性を増してくる。
 http://tocana.jp/2018/01/post_15622_entry_2.html 

■JFK「ソ連と協力してUFOに関するデータを分析したい」  
  ケネディ氏は、自身が殺される10日前にNASA長官に連絡し「ミサイルとUFOとの混同を避けるためにソ連と協力し合ってUFOに関するデータを分析したい、だからデータが欲しい」と告げていたそうだ。なるほど。これがケネディ氏の本音……つまり、「治安維持のためにUFOの存在を考えるようになった」というところだろう。しかし結局その10日後、彼は殺されてしまった。この奇妙なタイミングから、さまざまな陰謀説も浮上しているが、事実はまだ明かされていない。  
 ちなみに、UFOについて関心を持っていたのはケネディ氏のみではない。トルーマン元大統領も、「軍隊のあり方と未確認物体の飛行について、常に意識しているよ」とテレビで述べ、UFOの存在について関心を示していた。さらには、アイゼンハワー元大統領も「地球外生物と会議を開いた」と言われている。 「アメリカ大統領はUFOと交信する」といった、UFOマニアの主張を後押しするかのような数々の情報が錯綜する中、CIAがとうとう情報を公開したとなると、ケネディ氏とUFOにまつわる暴露情報は今後もじわじわと出続けるのではと期待せずにはいられない。(文=鮎沢明)参考:「Collective Evolution」、

  
アメリカ政府上層部と宇宙人の密約!ケネディ暗殺の真相に繋がる極秘情報、内部告発【都市伝説】unknownworld https://www.youtube.com/watch?v=zwnWGzKg7Eo




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